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『アナと雪の女王』のクリストフはどう描かれているのか? 山男視点で解説【完全ネタバレ注意!!】(追記あり)

※『アナと雪の女王』の完全ネタバレです。ただし、観ていない人にはやや分かりにくいです。

 

 タイトルはこれ↓のパクリ。

アナと雪の女王」のクリストフはなぜ業者扱いなのか? 夏野剛×黒瀬陽平×東浩紀の3氏が男性視点で新解釈
http://www.huffingtonpost.jp/2014/08/07/anayuki-genron_n_5660493.html 

 1ヶ月以上も前の記事に反応するのも今更だし、映画の楽しみ方は人それぞれだが、言論人を名乗る論客が3人も集まって公開討論するなら、作品中で「何が描かれているか」を読み取り、「そこから何が推測できるか」ぐらいは押さえてもらわないと。そんなわけで、ディズニー映画『アナと雪の女王』について、クリストフを中心に書いてみたい。

 アナ雪の小説版もあるらしいが私は読んでいない。あくまでも映画本編(英語版)から判断できる範囲内にとどめておく。


作品の手法について

 制作者は非常に制約が多かったろう。何より商業的成功を収めなければならない。子供の観客の集中力持続時間を考えれば、あまり長い上映時間は取れない。愛されキャラ・オラフの面白シーンは絶対必要だし、見せ場となるアクションシーンやミュージカルシーンも切るわけにいかない。残りの尺にストーリーとテーマを詰め込むことになる。ウザい説明セリフや説明シーンは極力排除されている。結果的に、本筋と関係ない事柄は大胆すぎるぐらいにバサバサ切り落とされている。私個人は御都合主義的なストーリー展開や設定に辟易したし、いろいろ突っ込みたい部分もあるが、テーマ以外のことは まあ割り切るべき作品ということで。

 説明セリフを極力挟まず映像で表現しきっているので、映像の美しさだけで子供も楽しめる一方、大人であれば、人生経験を活かしてキャラの表情や仕草から心情を読み取り、知識を活かして情景描写から情報を読み取っていく楽しみ方ができる。そのへんの細部描写は見事で、結晶の界面成長の様子やら、氷塊一つ一つに曲面収差した背景が映りこんでいる様子やら、つい見入ってしまう。


男女の恋愛に限らない an act of true love

 この作品は、姉エルサと妹アナのダブルヒロインの物語だ。主軸はあくまでも姉妹のすれ違いと愛情であり、男女の恋愛はサイドストーリー扱いになっている。しかも恋をするのは妹だけで、姉は恋愛に全く興味を示さない。この点が、ある種の人たちの反発を買ってしまったのだ。

 テーマとなるのが an act of true love だ。日本語吹き替え版では「真実の愛」と訳されていたが、英語オリジナル版では an act of が付く。つまり口先だけでなく行為で示すってこと。しかも途中のシーンで雪だるまのオラフが" Love is putting someone else's needs before yours.(愛とは自分より相手を優先すること)"とはっきり答えを言っている。映画だから an act of true love は当然劇的な行動として示されたが、本当はもっと さり気ない行動でいい。例えば、クリストフは相棒のトナカイ・スヴェンとの友情の証としてニンジンを分け合うのだが、必ず先にスヴェンに食べさせ、トナカイの臭いヨダレでベトベトになった残りを自分が食べる。これだって an act of true love だろう。別に男女の恋愛に限ったことではない。そして、スヴェンへの an act of true love と同時に、アナへの an act of true love があってもいい。実際クリストフはそうしている。

 
アナを救うことができるのはアナ本人だけ

 アナの心に刺さった魔法を解き、アナを死から救うことができるのは an act of true love だが、実はオラフ、クリストフ、エルサという3人ものキャラがアナに対して an act of true love を示している。それなのにアナの魔法は解けなかった。

 例えば、雪だるまのオラフ。クリストフが石に向かって話しかけていた時、オラフはとっさに"I'll distract them while you run.(僕が気を引いてるスキにアナは逃げて)"とアナをかばう。その後、アナが凍えかけていた時にも、オラフは暖炉に火をくべ溶けかかるが、
"Some people are worth melting for."
とまで言う。このセリフ、日本語吹替え版では「アナのためなら溶けてもいいよ」になっているが、英語オリジナル版では some people であり、我が身を犠牲にしてでも助けたい相手がオラフには複数いることになる。要は、男女の恋愛だって「真実の愛」には違いないが、他にも様々な「真実の愛」(友情とか家族愛とか)が存在することを仄めかす内容になっている。
 もともとオラフは、エルサが幼いころアナと遊んだ思い出を元に魔法の力で作り上げた雪だるまだ。オラフがここまでアナに優しくするのは、エルサのアナに対する愛情が反映されているのだろう、ということぐらいは容易に見当がつく。

 クリストフもそう。アナに惹かれながらもアナのためを思い、自分の感情を殺してハンスにアナを託しただけでも an act of true love として十分 合格点だが、彼の場合はそれ以上だ。何度となく危機的状況に陥っても、クリストフは常に誠実だったから。
 クリストフは財産をごっそり失い、生活基盤を完全に破壊されている(後述)。かろうじて持ち出したザイルとピッケルも、雪の怪物マシュマロウに追われて崖から転落した際に失くしている。それもこれも、クリストフの制止を聞かずにアナが軽率な行動を取ったのが原因であり、アナ本人はソリも荷物も弁償するとは言っているが、確実に弁償してもらえる保障もない。アナは城に戻れば王族としての裕福な生活が待っているが、クリストフは自然の中で一人で生きていかなければならない。制作者側が果たして、かつては重税をかけられむしられていたサーミ人(クリストフはサーミ人をモデルにしている。後述)の命運を意図的に反映させているのかどうかは判断がつかないが。
 最初にソリに乗って出発したシーンと、終盤で城門から立ち去ったシーンを比較すれば、文無し感がハンパない。クリストフにしてみれば身ぐるみ剥がされたに等しいが、彼は自分のことよりアナを心配している。クリストフに残された財産は衣服ぐらいしか無いのに、凍えそうなアナのために自分の帽子を被せてやる。
 これだけやってもアナの魔法は解けなかったのだから、クリストフには最初からアナの魔法を解く力は無かったのだ。


 エルサもまたアナの魔法を解く力は無い。エルサは終始一貫して自分のことよりアナのことを心配しているのだから。エルサがアナを遠ざけたのはアナを危険から守るためであり、自分の都合を優先したからではない。幼少時代のエルサが誤ってアナに当てた魔法も、元はといえばアナを転落から守るために放ったもので、エルサはずっと自責の念に囚われ続けている。エルサが魔法を封じ込めるために自己犠牲を強いられてきたことも、しつこいくらい描写されている。だからこそ、Let it go のシーンで魔法を思う存分解放して雪の女王に変身したエルサはあんなにも晴ればれしているのだ。

 アナはエルサを連れ戻しに氷の宮殿に向かうが、アナ本人は王国の冬を終わらせる具体案を何一つ持たず、エルサに頼めば全て叶えてくれる気でいたことをクリストフに呆れられるシーンがある。エルサと再会した時も、一緒に戻ろう、うまくやれるから、と口先では言うが、問題解決は全部姉に丸投げする気満々なのが見え見えだ。エルサに帰還を拒絶されまくってようやく、「冬を終わらせてほしい」と本題をおずおず言い出す始末。じゃあ今までエルサのためを思って連れ戻しに来たかのように言っていたのは全部お為ごかしだったのか、ってこと。
 冬を終わらせる方法は結局エルサ自身わからず、人から遠ざかるぐらいしか思いつかない。あの時点でアナにできる最善の策は、冬を終わらせてほしいとだけ告げ、あとはエルサに余計な負担をかけないことだろう。エルサもアナに頼ろうとする素振りを微塵も見せないから、アナは当てにならないことを知っている。誰一人頼れない状態で、エルサは一国の責務をがっつり負わされたわけだ。
 だがアナは、帰れという再三にわたる警告を無視し、王国をなんとかしてほしい、昔みたいに仲良くしてほしい、という動機で居座り続け、エルサならできる、一緒にやろう、と実の無いことを言い続けてエルサを追い詰め、結局魔法をくらってしまう。その事に対しアナは「エルサに裏切られた」と思っているらしい。あとのシーンでハンスに"You said she had never hurt you.(エルサは決して私を傷つけない、と言ってたのに)” と言われ、アナは"I was wrong.(私が間違っていた)"と答えている。アナに悪気は無いのは分かるが、いつも自分本位で、庇護対象から抜けきれていない。

 そう、 an act of true love を示してアナを救うことができるのは、アナ本人だけだ。
 早い話が、オラフとの暖炉のシーンでアナが
「オラフのためなら凍えていい」
と言って自ら暖炉の火を消せば、それでアナの魔法は解けたのだ。それじゃ映画にならん、ってだけのことで。

 余談になるが、一度は投獄されたエルサが脱走し、吹雪の中で何かを懸命に探しているかのような動作をしているシーンがある。あそこでエルサが「アナ! アナ!」とでも叫んでいれば、観客にもエルサが何をしているか一発で分かるし、直前にハンスから「アナが戻ってきていない」と聞かされているのだから、アナのことが心配でたまらないのだろう、と容易に推測できる。そこを敢えて仕草だけでエルサの愛情の深さを表現するあたり、演出が心憎い。


スリードしながらエンディングへ

 最後のドンデン返しに繋げるために、制作者側が観客を意図的にミスリードしているのは明らかだ。
 アナの魔法を解くan act of true love を「恋愛関係にある男性からのキス」であるかのように観客に思わせるのだが、既にこの時点でアナの本命はハンスではなくクリストフであることははっきりしている。ハンスだっていい奴なのだが(あの時点では)、アナとは通常の社交の範囲を超えていない。ハンス同様クリストフもまたアナと出会って数日かそこらだが、一緒に過ごした時間の濃密さが全く違う。そうして観客に気をもたせておいたところで、ハンスが豹変する。
 話は脱線するが、『シンデレラ』や『白雪姫』などに出てくる古典的王子様は、単にそのように生まれついただけの身分以外に何の取り得もない。己の努力や才能により獲得した美点が何一つないダメ男だ。その点ハンス王子は、努力の方向性を間違えたとはいえ、一族内で冷遇されている状況から脱出すべく努力している。身なりや立ち居振る舞いに気を配り、同調テクニックを駆使しながら完璧な演技力で相手の心を鷲掴みするスキルを習得するには、相当の研鑽が必要だったろう。身分の上に胡坐をかいているだけのバカ王子とは訳が違う。
 アナもアナで、最初はハンスに助けてもらおうとし、ハンスに裏切られれば今度はクリストフに助けてもらおうとする。とにかく他力本願であり、エルサに頼んで解決してもらおうとした時から少しも変わっていない。アナはクリストフにキスされれば自分の命は助かると信じているし、観客もまたそう思わされている。先述の通り、実はクリストフはアナを救うことはできず、アナ本人しかアナを救えないのだが、観客には気付きにくくなっているし、私も最初は見事に引っ掛かった。
 アナが最後に、クリストフではなく、ハンスに殺されかかったエルサの方に駆け寄ったのは、別に「クリストフか、エルサか」の選択でエルサを選んだわけではない。「自分が助かるか、エルサを助けるか」の選択でエルサを助ける方を選んだのだ。あのシーンでアナがエルサを見殺しにしていたら、さすがにアナの身勝手さにも程があるだろう。ずっと自分本位だったアナがようやく an act of true love を示したのだ。

 アナが凍りついた時、エルサは真っ先にアナの頬に触れた。何かに触れてしまうことをあれほど恐れていたエルサがだ。両親が在命中、エルサは両親に触れることができなかった。エルサが己の魔法の力に恐怖心を持っていることも何度も描写されている。だがエルサはようやく恐怖を完全に忘れてアナを抱きしめ号泣する。エルサが恐怖を克服できるかどうかが鍵であることは、序盤におけるトロールの長の予言で明言されている。アナの献身的行為がエルサの恐怖心克服のきっかけとなったのは確かだが、エルサもまた自力で恐怖を克服したのだ。
 なんだ、きれいにまとまってるじゃないか。


人格化されたマイノリティ―エルサとクリストフ

 この映画の制作者は、ある程度マイノリティを意識しているように思われる。まあ飽くまでも娯楽映画だから、差別問題を取り上げるわけではなく、マイノリティ側を魅力的に描く、というマイルド路線を採用している。だからこそヒットした一方で、そこがこの作品の甘さにもなっている。まるでマイノリティ側がマジョリティ側に歩み寄るかのようなエンディングが私はどうも苦手で、エルサはあんなチャチなスケートリンク作るより、責務だけ果たした後はあの壮大な氷の宮殿で羽を伸ばしている方がいいんじゃないかと思うが、それだと落とし所にならないのだろう。

 この物語には人格化されたマイノリティが二人登場する。一人目はエルサで、彼女は王位継承者であり、魔女であることを隠し通しさえすれば申し分のない人生を送れるが、バレた途端に迫害されるマイノリティに転落する。隠していれば問題なく社会に受け入れられる、という点では同性愛に似ている。事実、アメリカでは反同性愛の宗教保守がこの映画に猛反発したらしい。

 もう一人のマイノリティが、実在する被差別少数民族をモデルにしたクリストフで、こちらは出自そのものが差別の対象となる。魔女であることを隠していた頃は優等生を装っていたが、バレたら開き直ったエルサと違い、クリストフは最初から開き直っている。他人には無愛想に接するが、信頼関係を築いた相手(スヴェンやトロールたち)には徹底的に誠実で優しい。
 エルサが人前で魔法を露呈したとき、居合わせた人々は一様に恐怖の感情を示した。物語中で俗物の権化として描かれるウェーゼルトン公爵は、直ちにエルサを怪物呼ばわりし、排斥を訴えた。一方クリストフは、エルサの生み出した冬の情景の美しさに見とれ、氷の宮殿に率直な賛辞を惜しまない。エルサの魔法をすんなり受け入れたキャラは、クリストフと幼少時代のアナだけである。
 エルサの生み出した怪物マシュマロウにつまみ出された際も、あれは単に自分たちを追い払いたいだけで、余計な手出しをしなければ危害は加えてこないことを理解しているかのようにクリストフは振る舞っている。実際マシュマロウも、かなり手加減しているように見える。結局アナが余計なことをしたせいでマシュマロウを怒らせてしまうが。
 別のシーンでは、ハンスがマシュマロウに切りかかり、宮殿に侵入してエルサを拘束する。エルサの領域を侵害しないクリストフと、侵害するハンスとの対比が描かれる。


クリストフは被差別少数民族

 クリストフの設定はサーミ人だといわれる。服装もそうだし、トナカイを使って移動生活を送ったり、山で危険な作業に従事したりする点などは明らかに山岳サーミ人を想定している。サーミ人コーカソイドにしては珍しく蒙古襞を有している人が多いが、クリストフもアジア人風の一重瞼の目をしている。もっともクリストフは非常に大柄だが、実際のサーミ人は小柄な人が多い。
 クリストフの描写については本物のサーミ人たちも賛否両論で、サーミ人を魅力的に描いていることを高く評価する人もいる一方で、サーミ文化を正確に描いていないと憤る人もいる。創作物において実在する少数民族を取り扱う場合、やはり細心の注意を払った方がいい。


クリストフは被差別者としてどういう扱いを受けてきたか?

 サーミ人は歴史的に、マジョリティであるキリスト教徒にアニミズム的信仰を弾圧されたり、重税を課せられたり、自己決定権を奪われたりしてきた。アナ雪は娯楽映画なので、現実の生々しい問題は避けて通る。ただし、被差別者としての扱いを仄めかす描写はある。クリストフがスヴェン相手に歌うシーンで、" People will beat you and curse you and cheat you(人間は殴るし罵倒するし騙す)"と言っている。そういう人生だったのだろう。

 冒頭の、凍結した山上湖での採氷シーンは示唆的だ。まだ幼いクリストフが大人の男たちに混じって作業しているが、大人並みの力仕事などできるはずもなくヨロヨロしているのに、周囲の大人たちは誰一人手助けせず、完全に無視している。作業が終われば自分たちだけさっさとソリに乗り、幼い少年を夜の山に平気で置き去りにする。幼クリストフは何時間もかけてやっと氷を持ち上げ、置いてけぼりをくらいながらも町まで氷を運んでいるのだから、氷売りに憧れて真似事をしているわけではなく、本当にそれで生計を立てているのだ。間違いなく孤児だろう。幼クリストフも慣れっこなのか、自分が劣悪な環境に置かれている自覚も無いようで、むしろ相棒のスヴェンと一緒に居られさえすれば十分 幸せそうに見える。幼クリストフはこの後、石の精霊トロールに気に入られ、家族の一員として迎えられることになる。そこから大人になるまでの描写は無い。確実に言えるのは、極北の自然環境の中で一人で生きていけるようになるには、非常に多くの知識と技能を習得しなければならない、ということだ。


クリストフは何を失ったのか?

 戴冠式の朝、城前広場のシーンで大人になったクリストフが登場する。無雪エリア用の車輪を取り付けたソリに、鳶口状の採氷道具一式と毛布が積載されているのが確認できる。あとのシーンで、リュート(弦楽器)、ランタンも確認。他にはおそらくサーミ式の円錐テントや生活道具一式が積み込んであったのではないだろうか。あと、サーミ人設定なら当然、スキーも積んであるだろう。靴の先端の反り返り部分にスキー板を引っ掛け、雪面を効率的に徒歩移動するのに必要だから(余談になるが、靴を足にしっかり固定する紐が描かれていないことに対して、本物のサーミ人がツッコミを入れている)。作中のセリフから、ソリは買ったばかりの新品だと判明する。

 これらを全て失えば、直ちに生存が脅かされる。生活基盤を完全に破壊されるってことはそういうこと。寝泊りする際に、ピッケル一本すら無い状態で、どうやって雪洞掘りやらイグルー作成やらができると? それこそ熊みたいに大木の根元にでも体を押し付け圧雪して窪みを作るしかないだろう。毛布もランタンも無いから、暖をとりたければトナカイのスヴェンに抱きつくぐらいしかない。あと、帽子が有るのと無いのとでは、防寒効果がかなり違う。そういう状況でも生きていけるだけのサバイバル能力をクリストフは有しているだろうが、非常に厳しい状況に追い込まれたことに変わりはない。

 

トナカイ・スヴェンとの関係

 クリストフは時々、スヴェンの言葉を勝手にアテレコして喋ることがある。クリストフのアテレコとスヴェンの表情や動作が完全に一致していることから、別にクリストフは自分の妄想や願望をスヴェンを通して語っているわけではなく(それならクリストフが喋っている間、スヴェンはそ知らぬ振りをする演出にしないとおかしい)、正確にスヴェンの言葉を通訳している設定だと分かる。

 クリストフはスヴェンが少しでも侮辱されることに対して、過剰なまでに敏感に反応する。アナが勝手にスヴェンに命令した時には抗議している。また、自分がオラフに"the funky lookin' donkey"呼ばわりされた時は怒りもしなかったのに、オラフがスヴェンに対して"my cute little reindeer"と見方次第ではスヴェンを小馬鹿にしているかのようにも受け取れるセリフを言った時には、怒ってオラフをスヴェンから引き離している。その後、オラフがスヴェンの背中に寝そべり普通に話しかけている時は、別にオラフを咎めたりしない。

 

クリストフを描写する際の演出

 オーケンの店でクリストフが初めてアナに会った時、アナは戴冠式のドレス姿のままだったから、アナを一目見るなり貴族王族クラスの人間だと認識できたはずである。だがハンスのように礼儀正しく挨拶するでもなく、邪魔だからどけと言わんばかりの態度に出る。映像上でも、クリストフが威圧的に見えるよう演出してある。ところが直後のスヴェンとの歌のシーンでは、一転してクリストフは優しそうなイケメンとして描かれる。クリストフは本来こういう人間なのだと観客に印象付ける演出上のテクニックである。
 狼に追われるシーンの時点では、クリストフはアナのことを良く思っていなかった。アナに面と向かって「信用できない」と言っているし、先述の通り勝手にスヴェンに命令したことに抗議もしている。それでもとっさにアナをスヴェンの背に乗せ、自分よりも優先的に助けたのは、もう根っからそういう人間なのだというしかない。


ラストにおけるクリストフの立ち位置

 作中で描写されているクリストフの人物像をまとめてみよう。

・幼少時代から自活している。
・商売のため町に出てくるし、時折トロールたちの相互扶助コミュニティの世話になることもあるが、基本的には極北の自然環境の中で一人で生きている。自分の世話は全部自分でするタイプ。

 これって正に、ラストのあの役回りを安心して任せられる稀有な男性キャラではないだろうか。
 綺麗な言い回しで表現するならこうだ。クリストフが他の誰にも左右されない自分の世界を持っていることは、作中で十分に示されている。それはスヴェンやトロールたちとの生活であり、彼が愛してやまない氷雪の山である。それはアナのあずかり知らぬ世界であり、彼が自分の世界を生きている間アナにできることは、せいぜい遠くから見守るくらいだろう。それでクリストフのアナに対する愛情が1ミリたりとも減るわけではない。
 全く同様に、アナもまたクリストフにはあずかり知らぬ自分の世界を持っていて、そこにクリストフは立ち入ることはできないし、立ち入るべきでもない。だからこそ、ラストでクリストフは姉妹の間に割り込まず、少し離れて見守っているのだ。自分が袖にされたわけではないことをちゃんと理解しているかのように振る舞っている。そこまで含めて、彼の度量の大きさとして表現しているのだろう。
 もうちょっと下世話な言い回しをするならこうだ。この映画では、女が自分の世界を持っていることを理解し尊重できる男が肯定的に描かれている。なのに正にその部分に噛み付き、女は常に男を求めていなきゃヤダとばかりにふてくされて駄々をこねてどうする。

 最後にアナがクリストフにソリを弁償したのも、借りがあったのを利息付きで返す、という当然のことをしたまでだろう。クリストフは王室の囲い者になるような玉ではないし、今までのワイルドな生活を捨てるつもりなど毛頭ないだろうから。王室御用達となったことで、以前よりは生活も安定するだろうが。
 エルサがいれば氷屋は必要ない、というツッコミは私も思いついたが、よく考えれば、たった一人の特殊能力者に依存した状態で組織や社会経済を回すのは最悪だ。特殊能力者が死んだり能力が衰えたりした途端、ガタガタになってしまうから。

 

その他・小ネタ

 エルサのマイノリティ性が「魔法」という徹頭徹尾ファンタジー補正のきいた設定だったのに対し、クリストフのマイノリティ性が実在の少数民族という設定である点が、現実的すぎてなんともバランスが悪い。また、姉妹の葛藤を中心に描く都合上、姉妹はそれぞれ不完全さを抱えて苦悩しているのに、クリストフの方は人格が完成されすぎの印象を与えてしまい、これまたバランスが悪い。そこんとこをうまく中和するシーンも用意されていて、アナはクリストフの世話になりっぱなしではなく、何度かクリストフを助けている。トロールたちがクリストフのことをボロクソに言いながらいじり倒すシーンもあるし、クリストフの体臭も何度もネタにされている。本来なら、人の体臭をネタにして笑いものにするのは言語道断だし、ましてや相手が被差別少数民族ならなおさらだが、まあそれぐらい落としておかないとバランスが取れないほどハイスペックだってことだろう。ガタイはいいのに気は小さい、という性格設定との合わせ技で、絶妙な位置にクリストフを落とし込んでいる。

 あ、せっかくの小道具であるピッケルを、滑落止めにも登攀用にも使わなかった点はやや不満。尺の都合上カットされたシーンにはあるのだろうか。

 

 

2015.5.13追記

 アナ雪における民族差別を指摘する海外サイトの見解を踏まえた上で、再度の考察を書いてみた。併せてお読みいただけたら幸いです。

http://semimaruclimb.hatenablog.com/entry/2015/05/13/221216